【資料】2008年、廿日市市長へ送られた「宮島の鹿」をめぐる市民からの手紙|竹中千秋さんの手紙を全文掲載

かつて宮島では、「NPO団体 宮島の鹿をいつくしむ会」が、鹿への給餌活動などを行っていました。

代表を務められていたのが竹中千秋さんです。このNPO団体には、現在も宮島で鹿の給餌活動を続けておられる米田ご夫妻も参加されていました。

その後、竹中さんが病気を患われたことにより、団体は解散しました。しかし、団体の活動が終わった後も、米田ご夫妻は宮島の鹿たちへの給餌活動を今日まで絶やすことなく続けてくださっています。

竹中さんは2008年9月、当時の宮島の鹿を取り巻く状況について、廿日市市長宛てに一通の手紙を送っています。

そこには、

  • 餌やり禁止の看板が増えていったこと
  • 痩せた鹿や怪我をした鹿を目にしたこと
  • 市役所へ問い合わせた際のやり取り
  • 宮島各地を実際に歩いて確認した鹿の様子

など、当時の状況が詳細に記録されています。

現在の宮島の鹿について考えるうえでも、当時何が起き、現場で活動していた人たちが何を見て、何を感じていたのかを知ることができる、貴重な記録だと考えています。

このたび、竹中さんご本人より掲載の許可をいただきましたので、資料として全文をご紹介します。

以下の内容は、2008年当時に竹中さんが見聞きし、考えたことを記した手紙の原文です。記載されている事柄には、本人による現地観察、伝聞、当時の報道をもとにした記述、本人の意見や推測が含まれています。

目次
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廿日市市長宛て 市民からの手紙

廿日市市長宛て「市民からの手紙」
2008年9月8日投函/宮島の鹿をいつくしむ会 代表 竹中千秋さん

引用元:宮島の鹿を救う人道支援の輪

世界遺産となった宮島と鹿

2025年7月撮影・いつくしか

世界遺産になるまで 島に観光客を呼んでいたのは誰だろう。鹿とのふれあいを求めるリピート客が多かった。

世界遺産になったとたん鹿は邪魔になったのだろうか。

一部の鹿のわるさ→凶暴化と大げさな表現でテレビも利用

糞害→土の部分がアスファルトに舗装したため、糞が自然に戻れない。→人災

餌禁止→観光客への被害(一部の鹿による)→徹底的な餌禁止→被害多発

猿の餌も禁止→里におり始めた猿

※冬でもないのに なぜ山で生活できないのか

山に登るとわかる。山を歩くとわかる 夏でも宮島の山では生活するのは難しい。

500頭いた鹿→随分減った→いずれ管理頭数10頭に

今何頭?山にいる鹿・里にいる鹿と区別はできない。行き来している。

490頭は餓死させるのか。山だけで暮らせるのは数頭だろう。畑をおそえば冬を越せる。しかし、野生でなければ電流柵で死んでしまうだろう。

夢で見た記事

世界遺産の宮島・鹿を大量餓死に追いやる(廿日市市に合併後)

事実になるかもしれない。

「鹿は野生動物」という扱いへの疑問

引き潮時の大鳥居前の観光客と鹿
2026年4月撮影・いつくしか

宮島のシカを、野生動物だと思っている住民は、何人いるのだろう。誰が、野生動物だと文字に書き始めたのだろう。

もの言わぬ鹿だけが悪者とされ 飢えを強いられているように思えてならない。。

大聖院に月に一度遠くからお参りする者も多い。毎月シカを目にしている。

看板を出し・船で餌やり禁止を呼びかけ、シカの被害は減っただろうか?

シカは減った。

被害は増えてしまったのではないか。今後、猿の被害も予想される。

花火大会など昔はなかった。管弦祭が廃れた原因。管弦祭。今、復活しつつあるが、まだまだだ。宮島で一番の大きな祭りだった。花火大会などやめろという声も多かったが…。金をかけている。しかし、鹿のえさ代は出さない。

じゃがいも。人参のスティックを売れば、えさ代には困らないし量も管理できるのではないか。観光客が紙を与えることもなくなるだろう。 

なにより今問題なのは、減ってもなお餓死の方向に向かわせ、穏やかでおとなしい人慣れした鹿の絶滅の危機が訪れる冬が すぐそこまで来ていると言うことだ。 

動物の頂点に君臨する人間だからこそ「いのち」の重みを考え、行き過ぎた対策を改めて考え直してほしい。

戦後の宮島と「神鹿」

かつては神鹿とされていた宮島の鹿
2025年10月撮影・いつくしか

宮島の鹿の記録は、江戸時代にさかのぼる。

もっと以前からかもしれないが、江戸時代の画家 長沢芦雪が四十六歳の時、「四季うつろう宮島」という絵を描いている。宮島の鳥居の絵・雪の中の千畳閣と共に「神鹿苑の秋」という題で多くの鹿が描かれている。

これは、太宰府天満宮の裏にある九州国立博物館に今年七月初めに展示されていた。宮島の鹿は野生動物ではない。「神鹿」として大切にされていた。

「神鹿」は、戦後、姿を消したという。山中には、まだ生き残っていたかもと言う人もいるが… 食糧難。「古くから鹿と共に生きてきた者は食べるはずがなかろう」と 年寄りの話。戦後、宮島に移住した人も多い。

絶滅の危機を防ぐため新たにもらわれてきた鹿は、神社の裏と海に面したお土産屋の前に大きな柵と網に囲まれ飼育されていた。戦後、新たにというとサルもそうだ。

大元神社と鹿さん 2025年8月撮影・いつくしか

戦前に、大砂利に行く人は、弥山を越えて裏に回っていた。その途中、サルを見かけたことなどなかったという。どこやらのまねをしてサルを弥山に連れてきたという。

シカの話に戻る。そのうち鹿は放された。えさ代が大変で放したという説もある。

先日、台風が原因で大木が倒れ柵を破壊。鹿が逃げたことが新事実として浮上。目撃者あり。放された当時は、「ラッパおじさん」も有名で、朝の番組にも取り上げられた。

昔からの住民は、鹿を大切にするよう教えられていたという。年寄りが幼い頃は、鹿おけと呼ぶ物があったという。家の前で鹿が死んではいけないので、早くから起き、家の前を掃除をしていたという。

犬を飼ってはいけないという教えも守っていたという。昔ながらに鹿を大切にした。

シカが食べることでゴミは減る。野菜の皮や切れ端を住民は与えた。「神鹿」は、半ペット半野生の状態であった。犬が飼えなかったため鹿をペットとして可愛がる人もいた。

宮島の鹿は神の使いだった

宮島の山に鹿の餌はあるのか

大元公園の土壌 2026年7月撮影・いつくしか

本土の山々と違い、宮島は、松の木が多い。キョウチクトウは毒の木。たくさんあるアセビの木も毒。道ばたの椿の葉も食べはしない。

鹿は山に隠れ草原の草を食べる。大きな木の下には日が当たらず、草は生えない。宮島の山では生きていけない。山のふもとに草が生える。日当たりの良い空間に草は生える。

大元公園の土壌 2026年7月撮影・いつくしか

草原は、以前はあらゆるところにあった。

しかし整地され公民館や公園や駐車場に。杉の浦の大きな沼地?は埋め立てられ、家が建ち並んだ。包ヶ浦の自然は、人工的なきれいな広場となった。小中学校も鹿の出入りを禁止。オオバコ・コバコの宝庫だったが…。

グランドに生える草に困り海水をまいて枯れさせる。シカは食べられない。世界遺産になった頃には、道路という道路はアスファルトで固められ、桟橋前も土の部分がなくなった。

土がなくなったことで糞害が発生。人災だ。

よもぎやシオン・ねこじゃらしなどの草は、昔のように生えてはいない。昔見ることのなかった しそ葉に似た草の群生を空き地で目にするが、それを食べた形跡はなくそのまま残っている。食べれない草なのだろう。

鹿が食べられない植物だけが残る大元公園
2026年7月撮影・いつくしか

「えさを与えないでください。」の看板が立ち、鹿は、減った。

弱いものからいなくなる。「あばらが見えるのはビニールを食べたからだ。」と平然と言っている人がいた。なぜ言い切れるのだろうか。

ここ一・二年。痩せたばかりでなく、怪我をしている鹿を見ることが多かった。以前では考えられないことだ。牛一頭の餌は、穀物十キロという。鹿は何を食べればいいのだろう。鹿のくつろぐ空間さえなくなっていっている。

フェンス越しに、物欲しそうに雑草を見つめる。背の届かない藤の葉を見つめる。

「えさを与えないでください。」の看板は、増えすぎた鹿を徐々に減らすために観光客向けのものだと理解したつもりだった。観光客に呼びかけ、多すぎた餌を元の状態に戻すものと理解していた。しかし…

一部の鹿の悪さを凶暴化に仕立て「鹿が凶暴化」とおもしろおかしく報道した朝の番組。以来、宮島は変わった。すべての鹿に対し、徹底的ななおあずけの方向に向かった。

短い芝を食べようとする鹿 痩せている
2026年7月撮影・いつくしか

最近の鹿は、観光客に救いを求めているようにさえ感じる。

減り続ける鹿。去年ならともかく、減っている今、追い打ちをかけるように7月28日の新聞に「世界遺産の島で増殖、シカ騒動」というスーパーモーニングの見出し。30日には看板が立てられ、「最近、鹿に噛まれる事故が多発しています。

特に乳幼児を連れている方は、ご注意ください。鹿は野生動物です。シカにえさを与えないでください。シカにさわらないでください。」という内容の看板が桟橋前に立った。どのように噛まれたのか分からないが、血が出るほどのものなのか、あまがみなのか。どんな状況なのか。

顔の前に指を出せば食べ物とまちがえて噛むのはどの動物も一緒。しかし、宮島のシカは信じられないくらい優しい鹿が多い。日本中でもっともやさしくおとなしい鹿だ。「おしりを触ると蹴られるから シカの後ろに行かないように。」と、昔教えられた。

しかし、つい先日も観光客の子が痩せた鹿の背中に乗っても、シカは優しく見ていた。小さい子には特に優しい鹿が多い。幼い頃「秋のシカは、あぶないので近づくな」と教えられた。

しかし、ずいぶん前から 時期が来ると角は切られはじめ安全になった。なぜ今、噛む事件が多発?シカにも性格がある。やさしいシカもひょうきんなシカも意地悪なシカもたまにいる。「シカは神鹿として大切にされ。。。」とビデオを流していた松大船も、いつしかそのビデオはなくなり「鹿は、野生動物です。餌をやらないでください。」と放送している。

野生動物という言葉が強く打ち出されたのは最近のこと。意識付けが必要以上に鹿の命をおびやかす。

石鳥居と右に見えるのは千畳閣
2026年7月撮影・いつくしか

最低限の保護政策をしているのだろうか。極度の飢えを与えてはいないだろうか。

今まで気にかかっていた鹿(怪我。痩せすぎ)は、みんないなくなってしまった。保護政策なしに規制ばかりでは、あぶない。宮島が、どの観光地とも違う特徴。それは、鹿に会える島ではなかったか。

「鹿さんに会いに行こう。」そういって 何度も島を訪れたものも多い。

「弁当開いたら 鹿に追っかけられてねぇ。」と笑いながら思い出を語る近場の観光客も多いはずだ。生き物好きは、一度でなく、何度も足を運ぶ。観光にとってももっと効果的な方法を考える時期にきているのではないだろうか。

最近、耳にしたことだが、包みが浦よりもっと奥、宮島の裏に、増えすぎないように雄だけを隔離していたという。

相当の数だったらしい。裏の農家にえさをやるよう頼んでいたという。それは今も?雄ばかりなのですごく猛っていたという話だ。今はどうなのだろう。放したのか?この目で見ただわけではないのでわからない…。

宮島包ヶ裏自然公園の鹿さん
2025年6月撮影・いつくしか

8月4日(月)中国新聞の記事

「モリが刺さった鹿見つかる」包みが浦海水浴場近くで2日午後四時頃見つかったそうだ。

8月8日 Googleで見つけた「宮島の鹿を救う人道支援の輪」というのがあるのがわかり電話をしたが、廿日市市役所? ちょっとたらい回し。

それで餌について聞いてみた。はっきりと「全くやっていません。」の回答。

飽食の時代、鹿は飢えと闘っているのに…随分鹿は減ってしまったのに…5年計画で減らすというのもすでに達成しているのでは…

ホームテレビに電話。スーパーモーニングの担当者と話したかったが、担当が東京朝日だということで視聴者担当の人と電話で話す。穏やかな人で、しっかり伝えるとのことだった。報道の自由とはいえ、おもしろおかしく報道することは鹿への危険がおおくなること。お願いした。

2008年の新聞記事

2008年8月——現地を歩いて確認した記録

木の下に座り暑さをしのぐ雄鹿
2026年7月撮影・いつくしか

8月10日 夕方 船を降り知人と話していると痩せた雌鹿が二頭 寄ってきた。「何にもあげられんよ。」と頭をなで話せばわかる。あばらが浮き出ている。今、広場に痩せた雄が4頭。

8月11日 10時過ぎ、珍しい車を見る。小型トラックで荷台がフェンス枠。廿日市市と書いてあった。死体を運ぶのか?広場に行くと 鹿が増えてる。??しかも痩せていない雄ばかり。偶然か。どこからやってきたのか。

様々な疑問を解くため 宮島へ船から降りて左方面。桟橋から包が浦→入り浜→大砂利浄水場→私有地の門まで行ってみた。包みが浦を過ぎ大砂利を過ぎて行き止まりまで鹿はいなかった。帰りに一頭、純粋な野生の鹿に出会った。警戒心が強く素早かった。まさに野生だ。たった一頭。

「鹿は山のシダを食べるんだよ。」といかにも本当のように言い、雑草さえやらせまいとする人がいた。鹿にシダをやってみた。臭っただけで食べなかった。

桟橋前の鹿さん 2025年7月 撮影・いつくしか

背の届かない藤の若葉を取ってやると、うれしそうに側で待ち、食べた。シロツメクサ・露草・オオバコ・藤の葉は食べる。しかし、宮島にはほとんど見あたらない。あっても、フェンス越しで鹿は食べることができない。

包みが浦には雄が三頭雌三頭子鹿が一頭の計七匹。杉の浦に雌三頭。長浜には雄一頭雌三頭いた。少ない。

「鹿は猿のおこぼれをもらう。」と平気で言う人がいる。弥山の猿山から頂点に至る所にいたシカは三頭。痩せこけていた。三頭すらこの状態。

8月14日 広報はつかいち(8月1日)10ページの「みんなが手をつなぐために」を見て唖然とした。

「ある島では、天然記念物のシカを守るために、田畑、山をあらされながらも我慢して暮らしている人たちもいる」という文面。本当か?もの言わぬ鹿を追い詰める口実か?

宮島に農家?島全体は国有林であり、山を持っている人がいるのか?

宮島へ船から降りて左方面。大砂利。昔1件あった大砂利の農家は廃屋となっていた。その反対側には立派な家が。農家らしくビニールハウスらしいものもある。電流柵で囲まれ、機械警備万全のようだ。隣が水道施設になっていた。斜め前は廿日市市浄水場というのができていた。

宮島農園は現在もあります

もっと先にはゲートがあり、「私有地につき、出入りは自由ですが門を必ずお閉めください。」という内容が書いてあった。しかし、数字式の南京錠がしっかりかけてありそこから先は通行不可。この先は何があるのだろう。大砂利の手前 入り浜までは車で行ける。大きな車でなければ行き止まりまでいけそうだ。

舗装された道の横には一部分椿が植えられていた。椿道?こんな人があまり通らぬところまでよくお金をかけたものだ。電流柵で囲まれた家と廃屋の間の広い空間に不思議なほどシダが群生している。初めて気づいた。シダは日の当たる場所に生えるのか。

杉の浦に小さな畑があるが、ちゃんとした職を持ち、自分たちが食べるための畑であり柵で囲んであるはずだ。杉の浦の人や散歩をする人の話では、最近、猿が出てくるらしい??? 生まれて今まで、聞いたこともない。

大砂利で見かけた2頭の鹿さん
2026年5月撮影・いつくしか

宮島へ船から降りて右方面にある「たたら」は、昔 畑を守るために犬を飼ったという。幼い頃、貸し畑があった。年間5000円で8畳位の畑を農家が貸していた。当時農家は3、4件。今はどうなっているのだろう。8月17日 たたら方面に行ってみた。

水族館を過ぎトンネルを越えると網の浦。住宅地だ。さらに進むと左にゴミ焼却場。右は立派な下水道施設。さらに進むと埋め立て地に入り江?カヌーで遊ぶ人がいた。さらにさらにどんどん進むとたたらがあった。

電流柵で囲まれた農園が2件あった。大砂利の1件と併せて3件。どれも立派で鹿は寄りつけそうになかった。そこから先は、広島大学の研究所の敷地らしい。門まで行った。門の先までもアスファルトの道路が続いていた。むかしは、網の浦くらいから先は土だった。でこぼこした土の道だった。昔、シラウオを捕った小さな川は見あたらなかった。

桟橋前に看板が出て、心配されたこと。観光客の餌やりを減らすだけでも、増えた状態は戻る。むしろもっと減る。冬の山には何もない。この正月から春は、悲惨だった。紅葉谷公園一段上の茶屋付近・神社裏の川沿いを飢えてあばらの浮いたシカの小規模な群れがあちこちで見られた。

神社の裏の店の付近で見かねた外国人が「ヘイ!ヘイ!」とシカに声をかける。痩せて極限状態。目は空を見ていた。外人はかけより、えさをシカの前にまいた。たべる力もなかった。やっと冬を越しても何も食べるものがない。

飢えない時期にも飢えているシカは、いずれまた消えて行くだろう。春から秋に繁殖し、弱い子鹿は死んでいく。栄養失調で ばしばしの毛になった細い子鹿は、なかなか大きくなれない。生きる希望で、目はらんらんと光る。昔の穏やかなシカの親子のくつろぐ姿は見られない。

廿日市市の対応への疑問

廿日市市が設置している看板
2025年6月撮影・いつくしか

島民にも餌をやるな 観光客にも餌をやるな 廿日市市はいっさい餌をやってない

山で生きろ。毒の木と松の多い土むき出しの島の山での食べ物は何だろう。うぐいす道によく落ちていた小さなドングリが、今、どれだけあるのか。宮島独特の山の なにを食べればいいのか。

宮島の鹿の 日本一おとなしく人なつこい性格は、何十年も人と共存してきた賜。自然を大切にし命を大切にしてきた厳島人の関わりの証。

6月末の中国新聞の記事では5年かけて減らしていく計画だったはず、また冬がやってくる。何もなくても冬はシカにとっては試練の時期。餌禁止看板以来せっかくひと冬越したシカも ふた冬目はもっと厳しい。

おとなしいシカが多い。噛むのは一頭だけだったのかもしれない。隔離すれば良かったのだ。

被害が増えたのは何故?お腹がすき過ぎ 

甘いにおいに誘われたのかもしれない。飢えながらも観光客の撮影におとなしく並ぶ鹿。並んだポケットに紙を見つければ餌だと思うだろう。おとなしく写真を撮られ、おとなしく触られても餌はもらえない。島中を餌を探して疲れて休む。

こちらの見つめる鹿さん
2026年5月撮影・いつくしか

5年までにシカは 何頭生き残れるだろうか。撲滅する気か。

なぜ、現場に立って考えないのか。減らす必要はあった。確かに。保障問題も絡んでいたのだろう。しかし、やり方が急すぎる。残酷ではないか。物言えぬ鹿の立場にもなって最低限の食料を与えてほしい。

島民がやっていたのは、ほんの少しの施しだ。「野菜の皮。もったいない。シカにやろう。」「やせすぎだ。がんばれよ。」みんながやるわけではない。いつもやるわけではない。「もったいない。捨てるよりはシカさんに。」昔から…。

年寄りもどんどん死んでいく。観光客からの餌でほとんど支えられていただろうに。観光客からもらえなくなるだけで相当なダメージを受け、冬を乗り越えたばかりのシカを 廿日市市議の何人が目で確認しているだろうか。

宮島の一部でなく、端から端までその足でその目でその耳で実態を見ているだろうか。一部の人の言葉が真実を語っているか?事を大きく膨らませすぎてはないか? 

大元公園で休む鹿さん
2026年7月撮影・いつくしか

昔々の出来事。ある地震火災の時「朝鮮人が火をつけた」とデマが飛び多くのやさしい朝鮮の人が殺された歴史と ユダヤ人迫害の歴史が思い浮かぶ。真実を見つめようとする目と何が正しいかをそれぞれ個人が判断し行動すれば悲劇は起こらなかった。政治の力が働けば、どうしようもない。なかなか。

きれい事は、どのようにも言える。ほんの少しの施しもやってはいけないというのなら、やらなくていいような 誰もが納得できるような具体的な回答を廿日市市はすべきであった。

被害ばかりを誇張し、単純に山に返すという考えは、シカが好きでなかった嫌いでもなかった人間にさえ反発を感じさせる。

看板だけなら当たり前だが、船内アナウンスを流す徹底ぶりは、県外の敏感な人にも「何かおかしい。」と感じさせるだろう。事実、何人かの外国人が、アナウンスを聞いたにも関わらず、鹿を見て近寄り堂々と ポッキーをやっていた。

なかには、鹿に近づき、なでて 振り返り振り返り何かを会話する夫婦の外人。そしてまた近づき哀れむ顔。政策の偏り・不自然さに気づく心がある。去年の春から比べるとシカは随分減っている。

引用元:宮島の鹿を救う人道支援の輪

廿日市市長への手紙 竹中千秋さんあとがき

大元公園の鹿さん 2026年7月撮影・いつくしか

9月8日 この手紙を廿日市市長に投函

9日の中国新聞 市街地で半数に?…もうとっくになっているのに…この春までに

…何を見ている。去年の春は桟橋前広場にあれほどいた鹿も数頭。すでに達成している。

水族館付近にあれほどあふれていた鹿も数頭。

去年ならともかく。今更避妊?せめて山に木の実を。堅すぎる椎は難しい。まてば椎なら食べられる。小さなどんぐりも。

10日 看板が変わった。 もっと悪い。鹿きけん。

松大船の放送「廿日市市からのお願いです。」プツッととぎれる。

11日もなし。しかし、たまたまだった。

相変わらず「しかは野生動物です。鹿の生態系を守るために餌をやらないでください。」と放送。

13日 奈良の春日大社の鹿苑に行った。

松は背景のためだけに配置。様々な木々が植えられ、鹿が食べれるもの、ここは食べてはいけないので食べれないものと工夫されている。芝も広大な範囲に渡り、芝と共に稲科のスズメノカタビラが植えられ冬も困らぬようにしてある。芝の肥料は鹿の糞

なぜ 奈良に視察に行かないのだろうか。

木々の工夫 芝の工夫 看板の工夫 見てほしい

この手紙から17年以上が経った現在

大元公園の鹿さん 2026年7月撮影・いつくしか

最後までお読みくださいありがとうございました。

この手紙が書かれたのは2008年です。

それから長い年月が経ち、宮島の鹿を取り巻く状況や行政の方針にも変化がありました。

一方で、この手紙を読んでいると、

  • 宮島には鹿が自然に暮らしていけるだけの餌資源があるのか
  • 人と長く関わってきた宮島の鹿を、単純に『野生動物』として扱うことは適切なのか
  • 給餌を制限するのであれば、その代わりとなる餌資源や最低限の保護はどのように確保するのか

といった問いは、現在にもつながっているように感じます。

私たち「いつくしか」は、過去を誰かを批判するためだけに振り返るのではなく、これまで宮島の鹿をめぐって何が行われ、何が問題として指摘されてきたのかを記録として残すことが大切だと考えています。

この手紙も、そのための重要な資料の一つとして公開させていただきました。

現在までに、宮島では多くの開発がなされ、土の道がコンクリートになり、鹿たちがどんどん追いやられるさまがよくわかりました。

この手紙を読んで何を感じるかは、人それぞれだと思います。

しかし、当時の宮島で何が起きていたのかを知るうえで、この手紙は非常に貴重な記録です。

私たち「いつくしか」は、これからも宮島の鹿に関する歴史や資料を残し、未来へ伝えていきたいと考えています。

竹中千秋さんには、貴重な記録の掲載をご快諾いただき、心より感謝申し上げます。

竹中さんが残してくれたNPO団体のホームページです。
ホームページ:宮島の鹿を救う人道支援の輪

かつて宮島では、「NPO団体 宮島の鹿をいつくしむ会」に関わる人たちが、鹿の給餌活動などを行っていました。しかし、代表を務められていた竹中千秋さんが病気を患われたこともあり、団体は長く活動を続けることができず、現在は解散しています。

また、以前あったNPO団体「宮島の鹿をいつくしむ会」については以下の記事でもご紹介しております。

痩せ細った鹿について新聞に掲載






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