宮島に猿がいない理由 ― 香川県から連れて来て愛知県へ移送した歴史

宮島というと、多くの人がまず思い浮かべるのは鹿だと思います。

しかし、宮島には鹿以外にも、さまざまな哺乳類が生息しています。実は、そのほとんどは人間によって持ち込まれたものだとされています。

研究者の金井塚務氏の調査によれば、宮島で確認されている哺乳類17種のうち、宮島だけで生活史が完結している在来の野生動物と言えるのはニホンイノシシなど一部のみで、それ以外はすべて人為的に持ち込まれた種だといいます。宮島の猿(ニホンザル)も、そのひとつです。

宮島の猿の歴史は、次のような流れです。

上記の図はAI生成のイメージ画像です

宮島の猿の歴史🐒

1962年(昭和37年)香川県の小豆島から47頭のニホンザルが宮島へ移入。
1995年頃 餌付けされていた群れが分裂し、野生化が進んだ。
2010〜2013年 個体数増加と猿害を受け、捕獲・移送が行われた。

目次
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宮島にはいなかった猿たち

宮島ロープウェイ獅子岩駅付近のニホンザルの群れ (2006年4月4日撮影)
撮影者名 Licsak  / ライセンス名(CC BY 4.0)/ Wikimedia Commons / 元ファイル

宮島に、昔から野生の猿がいたのかどうかは、はっきりわかっていません。

江戸時代の書物には、猿らしき姿が描かれた記録が残っています。天保13年(1842年)の『芸州厳島図会』という書物の挿絵にも猿が描かれています。

当時、厳島神社への参詣が盛んになり、多くの文人や僧が宮島の様子を歌や絵に残しており、その中にも猿についての記述が見られます。

芸州厳島図会 大経堂より眺望の図

ただし、これが本当に野生の猿を見た記録なのかは、はっきりしません。

研究者の金井塚務氏は、著書『宮島の植物誌 サルと歩く原始林』(1998年)の中で、興味深い指摘をしています。

『宮島の植物誌 サルと歩く原始林』(1998年6月初版)

当時、日本各地の楊枝屋(つまようじを売る店)には、看板代わりに猿を飼う習慣がありました。宮島に楊枝屋が開店した際、その猿も一緒に島へ来たのではないか、というのです。つまり江戸時代の記録に登場する猿は、野生の群れではなく、飼われていた個体だった可能性があります。

AI生成のイメージ画像です。実際の写真ではありません。

明治時代に入ると、江戸期の猿は絶滅したと考えられています。

金井塚氏は、明治期の新聞「芸備日報」の記事をもとに、山口県岩国市在住の人物が16頭の猿を厳島神社に奉納したという記録を紹介しています。この猿たちは町中で悪さを繰り返したため、まもなく捕獲されてしまいました。

金井塚氏は、これらの記録だけでは、宮島に野生の猿の群れが本当に存在していたとは言い切れないとしています。

もし野生の群れがいたのであれば、その後なぜ絶滅したのか、生態学的に説明できる理由が見当たらないためです。

つまり、古くから宮島に根付いていた動物ではなく、江戸時代の宮島の猿もまた、人間の営みとともに島へ渡ってきた(あるいは、その存在自体が曖昧だった)動物だったといえます。

引用元:宮島の植物誌 サルと歩く原始林 第一章 16~19p

香川県から宮島に移入された猿

香川県から移入された宮島の猿(2009年11月19日撮影)
撮影者名 KimonBerlin  / ライセンス名(CC BY 4.0)/ Wikimedia Commons / 元ファイル

現在につながる猿の歴史は、1962年(昭和37年)に香川県の小豆島から47匹が宮島に持ち込まれたことに始まります。

導入したのは、宮島ロープウェーを運行する広島電鉄グループの子会社「広島観光開発」と日本モンキーセンター(JMC)でした。

当時の報道でも、観光の目玉としての側面と、研究目的としての側面の両方が導入理由として伝えられています。

餌場は宮島ロープウェーの終点駅付近に設けられ、施設の管理はロープウェー運営会社が担っていました。研究目的を掲げながらも、観光振興の意図が並行して存在していたことがうかがえます。

引用元:宮島のサル、引っ越しで捕獲開始/愛知のモンキーセンターへ

野生化と猿害が起こる

宮島の猿の親子(2009年11月19日撮影)
撮影者名 KimonBerlin  / ライセンス名(CC BY-SA 2.0)/ Wikimedia Commons / 元ファイル

導入された猿は、当初は鹿と共生する姿が宮島の風物詩のひとつとなっていました。

猿がまだ野生下で暮らしていた当時の様子は、TSS(広島ニュースTSS)が公開しているYouTube映像でも確認できます。2000年に弥山で赤ちゃん猿が誕生した際の報道映像で、観光客が喜ぶ姿も記録されています。

TSS(広島ニュースTSS)提供

しかし、次第に群れが分裂・拡大し、山中の群れが民家や畑に出没するようになりました。個体数は百数十匹まで増え、人や文化財への被害が心配されるようになったといわれています。

猿による影響は、人里だけでなく宮島の自然環境にも及んでいます。

『宮島の植物と自然』(2007年初版)

広島大学が編纂した『宮島の植物と自然』(2007年初版)によれば、人為的に持ち込まれた猿は弥山山頂付近の植生に悪影響を与えており、岩場に生育する貴重な植物「ミヤジマシモツケ」が絶滅の危機に瀕していると指摘されています。

引用:広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所『宮島の植物と自然』21〜22p (2007年10月26日初版)

増えた猿への対応が検討される

くっついて暖をとる宮島の猿たち(2009年11月19日撮影)
撮影者名 KimonBerlin  / ライセンス名(CC BY-SA 2.0)/ Wikimedia Commons / 元ファイル

同書はまた、2007年当時、増えすぎた猿への対応として駆除計画が検討されていたと記載しています。

実際に2010年から始まったのは、駆除ではなく愛知県への移送でしたが、その間の経緯の詳細は同書からは分かりません。

なお同書の著者は、こうした経緯を人間の身勝手さが引き起こした被害の一例だと評しています。

これはあくまで著者個人の見解であり、この記事では事実の記録にとどめ、評価は読者に委ねたいと思います。

なお、この移送を推進した人物のひとりとして、金井塚務氏の名前が挙げられることがあります。いつくしかが給餌ボランティアの米田さんから伺った話では、金井塚氏は観光客への被害を理由に、猿を捕獲して愛知県の犬山モンキーセンターへ輸送する活動を精力的に進めていたとのことです。

参考:2008年末に朝日新聞に投書された痩せ細った宮島の鹿【新聞記事】

自身の著書『宮島の植物誌 サルと歩く原始林』(1998年)の中では、宮島の猿を野外博物館として、自然や猿の生態について学ぶ大切さを説かれていました。それにもかかわらず、実際には猿を捕獲して愛知県へ移送する活動を推進していたことになり、そのギャップに、正直なところ戸惑いを覚えます。

猿は動物実験用だったとの証言も

また、移送後の猿は動物実験に使われたという証言もありますが、これはあくまで関係者からの伝聞です。

NPO団体「宮島の鹿をいつくしむ会」の代表だった竹中千秋さんも、当時のブログ記事で、新聞各社が「宮島のサル全頭捕獲へ」と報じたことを紹介しており、観光のために持ち込まれ、数が増えて厄介者となったサルが、愛知県のモンキーセンター霊長類研究所へ実験用として移されると報じられていたと記しています。

竹中さんは、こうしたサルの結末について、市街地の鹿を山へ追い込めばよいという論理が、すでに破綻していることを示していると評しています。

引用:宮島の鹿を救う人道支援の輪

増えすぎた猿が捕獲され、その後実験用に移送されたという話は、給餌ボランティア関係者の間で伝えられていますが、これを直接裏付ける一次資料(新聞記事そのものなど)は確認できていません。

一方で、当時の四国新聞の報道では、モンキーセンター内に新設された飼育スペースで暮らすことになると伝えられており、伝聞と当時の報道内容には食い違いがあります。

宮島で鹿の駆除が検討されていた

愛知県への移送で問題は解決した?

弥山ロープウェイ山頂駅にいた猿(2008年10月12日撮影)
撮影者名 decade_null / ライセンス名(CC BY 2.0)/ Wikimedia Commons / 元ファイル

個体数の増加と猿害の深刻化を受け、2010年から2013年にかけて島内の猿の捕獲が行われました。

捕獲初日となった2010年1月29日には、ロープウェー終点駅の近くに大型のおりを設置し、餌でおよそ40匹を誘い込んだと報じられています。

おりの扉が閉まるとサルたちは逃げ回ったものの、職員が1匹ずつ麻酔をかけて運び出したとのことです。

移送先は愛知県犬山市の日本モンキーセンター本部で、園内に新設された飼育スペースで暮らすことになる、と報じられました。(四国新聞2010年1月29日)。

ただし、2010〜2013年に移送された猿が、その後どのように暮らしているのか、具体的に追跡した記録は見当たりませんでした。

一方でJMCは、移送後もたびたび宮島を訪れてニホンザルの調査を行っており、少数の個体が今も島に残っている可能性がうかがえます。

動物の観光利用に無理がなかったか

案内図の上に座る宮島の猿(2009年11月19日撮影)
撮影者名 KimonBerlin  / ライセンス名(CC BY 4.0)/ Wikimedia Commons / 元ファイル

ここで、あらためて考えたい点があります。それは、そもそも観光の目玉として動物を島に持ち込むという判断自体に、無理がなかったのかということです。

宮島の鹿も、参詣者への呼び物として、神鹿信仰と結びつきながら数を増やしてきた経緯があります。

人間の都合で動物を招き入れ、増えて都合が悪くなれば移送する。猿と鹿、それぞれの経緯を並べてみると、構造的に重なる部分があるように思われます。

これはあくまでいつくしかとしての見方であり、断定できる話ではありませんが、記録に残る事実を並べるだけでも、考えさせられるものがあります。

おわりに


AI生成のイメージ画像です。実際の写真ではありません。

もともと宮島にはいなかった猿を、人間が香川県から連れてきました。

その猿が増えて問題になると、今度は島の外へ連れ出す。そこには、その時々の人間の都合が色濃く反映されています。

宮島の猿(ニホンザル)の歴史から、私たちは何を学べるのでしょうか。

そもそも、猿に悪意はありません。今いる環境の中で精一杯生きていただけです。

猿は人間の判断によって宮島へ移され、その後再び人間の判断によって移送されました。彼ら自身がその環境を選んだわけではありません。

それを、都合よく観光利用したり、貴重な植物が食べられると、今度は猿害だと悪者扱いし始める。

今回の経緯を見ると、人間が野生動物を移入したことが、その後のさまざまな問題につながった可能性は否定できません。

人間が連れてきた。
増えた。
そして移送された。

宮島の猿の歴史をどう受け止めるかは、一人ひとりが考えていくことなのではないでしょうか。

参考資料

  • 金井塚務『宮島の植物誌 サルと歩く原始林』1998年
  • 広島大学大学院理学研究科附属宮島自然植物実験所『宮島の植物と自然』2007年10月26日初版、21〜22p
  • 淺野敏久「宮島におけるエコツーリズムの試み」『地理科学』第57巻第3号
  • 地理科学学会、2002年 「宮島の猿」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  • 「宮島のサル、引っ越しで捕獲開始/愛知のモンキーセンターへ」四国新聞、2010年1月29日 https://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20100129000149




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