宮島の鹿について書かれた、いくつかのサイトを読むことがあります。
そこに書かれているのは大抵
野生動物には餌を与えないでください
鹿との距離を保ちましょう
というものです。
しかこそういったサイトを読むと
やっぱり給餌はダメなのかなって思っちゃう..
現在、宮島の鹿は野生動物として「餌を与えない・触らない」など、人と野生動物の共生に向けた管理が行われている——という説明がよく見られます。
この考え方自体は、一般論として正しいものだと思います。
私たちも、鹿たちが野生動物として健やかに生きられる環境が望ましいと考えています。





ぼくたちも野生で
生きていきたいよ
ですが、あるサイトを読んだときに、私は強い違和感を覚えました。
書かれている内容の“大枠”が嘘だと言いたいわけではありません。
ただ、宮島という場所で語るには、省かれている情報があまりにも多いと感じたのです。
一般論だけでは見えない、宮島の鹿の実態


人参葉をおいしそうに食べる鹿さん
宮島では、鹿と人との関係が特殊です。
かつて宮島では、鹿が人の生活や観光と近い距離で存在し、結果として保護的に扱われてきた時代が長く続きました。
厳島神社には鹿の銅像がありましたし、以前は鹿の保護条例もありました。


宮島・厳島神社の鹿の銅像(1930年代)
ところがある時期から、「宮島の鹿は野生動物だから餌をやらないように」という方向へ、方針が大きく転換していきます。
鹿たちは突然、それまで当たり前のようにあった “鹿せんべい” 等の餌をもらえなくなりました。
そうこうしているうちに、市街地の鹿たちがどんどんやせ細り、力なくうずくまる光景が目立つようになります。



当時はそんなことに
なっていたの・・・
この状況に心を痛めた人たちが、応急措置的に給餌活動を始めたのです。
(当時の様子については、以下の記事で確認できます)


宮島の鹿について深く調べている方なら、2008年頃から現在に至るまで、継続的な給餌活動が行われてきたことは知っているはずです。
にもかかわらず、宮島の鹿について書かれた多くのサイトでは、こうした現実や歴史的背景に触れないまま、「一般論」“だけ” が語られることがあります。
ここに、私は違和感を覚えています。
「餌やり=悪」だけが提示されると、誤解が生まれる


歴史的背景や、ボランティアによる給餌活動の存在に一切触れられないまま
「餌やり=悪」
という一般論だけが提示されると、読んだ人はこう理解してしまいます。
宮島で鹿に餌を与えている人は、間違っている人なのだ
これは、書き手に悪意があるかどうかは別として、意図せずとも誤解を生む構造です。
そして、私のように宮島の歴史や給餌活動について知っている人は、
文章を読みながらこう感じ始めます。
「知らない」のではなく、“あえて書いていないのでは” と。



え、あえて書いてないの?



だとしたらひどいね
もちろん、他者の意図を断定することはできません。
ただ、読者がそう受け取ってしまうほど「情報の欠落」が、そこにはあるのです。
行政から「給餌行為をやめてほしい」と言われたことは一度もない


海の向こう側は廿日市市阿品
これまで、宮島の鹿の給餌活動をしてきて、行政から「給餌行為をやめてほしい」と言われたことは一度もありません。
また、行政が直接的に私たち給餌ボランティアへ、是正や指導を行ったこともありません。



ずっとごはんを
運んでくれてありがとう
しかも、それは17年間も続いていて、今も続いています。


この状況をどう表現するかは慎重になるべきですが、あえて言うなら、
行政による明確な是正・指導が長期間行われていない状態が続いている
ということです。
しかも、17年間もです。
それにも関わらず、「ボランティアによる給餌行為は間違っている」と受け取れる発信を行うことは、多くの方に誤解を招くのでは、と感じます。


「正しい情報」に見えて、誤解を招く表現が混ざるとき


理路整然と「正しいこと」が書かれているように見える文章は、それだけで信頼されやすいものです。
ところが、そこに「大きく抜け落ちている情報」があることは、なかなか気づけません。
人は、「ある」ことには気づけても、「ない」ことは知識がなければ気づけない
この性質は、とても重要だと思います。



書いてないことは
知りようがないもんね
たとえば、
「宮島の鹿は神の使い」という主張がありますが、宮島では神の使いはカラスです
と書かれている文章を目にしました。
「今はそう説明されることが多い」という意味では、これは“正しい”と言えるかもしれません。


干潮時の厳島神社
ですが一方で、
宮島が “神の島” として扱われてきた歴史の中で、鹿が宗教的・象徴的に特別な存在として見られてきた経緯があることも、無視できません。



昔は僕たち神の使いと
言われていたんです。
本当です..
さらに読み進めると、
宮島のシカが神鹿であるというのは、江戸時代や明治時代にすでにあった歴史のあるフェイク情報です
という表現も出てきました。
私はこの文章について、こう感じます。
「半分は事実で、半分は誤解を招く表現」だなと。
なぜなら、「法律や制度の上で正式に定められていたか」と、「神の島の象徴として長く大切にされてきたか」は、別々に考える必要があるからです。



公式で定められてないと言っても
神鹿苑(しんろくえん)や鹿の銅像も
作られていたのにね


現在の宮島水族館前に作られた「神鹿苑」(1965)
誠実に書くなら、たとえばこうです。
宮島の鹿は、奈良の鹿のように制度上「神鹿」と公式に定義されていたわけではありません。
しかし、宮島が神の島として扱われてきた歴史の中で、鹿が宗教的・象徴的に特別な存在として見られてきた経緯はあります。
「正しい」ことと「誠実」なことが、同じとは限りません。
そして、この違いが、読者の受け取り方を大きく変えてしまいます。


おわりに


今回は、宮島の鹿について書かれたサイトを読んだときに覚えた、違和感について書きました。
一般論としては正しくても、一部地域には例外があります。
例外にはきちんとした理由があり、その理由を私たちは発信しています。
- 野生動物には餌を与えない
- 人と鹿の距離を保つ
これは一般論として「正しい」のかもしれません。


ただ、それを伝えるだけでは、宮島の現状をきちんと理解できない —— そう考えます。
今後、宮島の鹿について発信される際は、少なくとも、
宮島では、長年にわたってボランティアによる給餌活動が行われてきたし、その活動は今なお続けられています
といった、補足が添えられることが望ましいと考えています。



きちんと宮島の歴史や
給餌活動についても書いてほしいね
現在公開中の個人サイトの記事についても、必要に応じて追記・修正が行われれば、読者にとってより誠実な情報になるのではいでしょうか。


