2008年末に朝日新聞に投書された痩せ細った宮島の鹿【新聞記事】

宮島の鹿問題が世間に明るみになったのは、2009年のことです。

2008年から廿日市市が宮島内に「給餌禁止のお願い」の看板を設置し始めました。

その後まもなく、餌がもらえず痩せ細った鹿が市街地で目撃されるようになります。

ちょうどその頃、旅行で宮島を訪れた大阪市在住の主婦がその異常さに気づき、2008年12月29日の朝日新聞朝刊「声」に投書しました

この投書がきっかけで、2009年から給餌ボランティア活動が始まります。

目次

朝日新聞に投書された痩せ細った宮島の鹿

朝日新聞朝刊「声」に投書された、痩せ細った鹿の写真と記事がこちらです。

朝日新聞に掲載された実際の写真

鹿の背中の尖った骨が現状を物語っています。

この鹿は、この場所でずっとうずくまっていて、もう立ち上がる力すら残っていなかったそうです。

2008年12/29 朝日新聞朝刊「声」より

「安芸の宮島」に初めて旅行しました。宮島といえば、日本三景のひとつですが、町中にいるどのシカも表情に元気がなく、目を細めてじっと座っているのです

普段、奈良公園の元気なシカを見慣れている私には、異様な光景が気になりました。周りを見渡すと、シカせんべいの販売はなくなっており、シカは野生なので、えさを与えるな、という看板が目にとまりました

しかし、町中にはシカが食べる草がほとんど生えておらず、砂利道や舗装された道だけです。山道も歩いてみましたが、山にはほとんど草が生えておらず、いったいシカの食べ物はなんだろうかと疑問に思いました。野生に返すなら、それなりの環境を整えるのが先だと思います。


いったん、えさを与えたシカは人間に依存してしか生きていけないので、人間が最後まで面倒を見るべきだと感じます。奈良では愛護会が、人とシカが共存できる環境を創り出しているのですから、宮島にもそのことを切に望みます。

大阪市主婦

引用:宮島の鹿を救う人道支援の輪

この新聞の投書を読み、心を痛めた地元の方が、ボランティアで宮島の鹿に給餌を始めたのです。

記事にも書いてありますが、痩せ細った鹿はこの写真の鹿だけではなく、宮島の市街地にいた多くの鹿が痩せ細り、飢えで苦しんでいたそうです

もし、宮島の原生林に鹿の餌資源が豊富にあるなら、鹿がここまで痩せ細り立ち上がれなくなるなんてことにはならないはずです。

この新聞記事は、宮島の原生林に鹿の餌資源が不足している証拠のひとつになります。

給餌活動を16年間以上行なっている米田さんも、2009年当時のことを同じようにお話しされます。

宮島の鹿は実際に餓死しそうなの?

2009年3月の新聞報道が全てを物語る

2009年当時は、まだ宮島の鹿問題について新聞で報道されていました。

朝日新聞 2009年3月15日の記事では、宮島鹿問題の大まかな内容がつかめます。

朝日新聞

エサ禁止、細る宮島のシカ 数増え、市が半減策
2009年3月15日 18時42分

 世界遺産・厳島神社がある宮島(広島県廿日市市)で、「神の使い」と大切にされてきたシカが増えすぎ、餌不足からやせ細っている。しかも、子どもがかまれるなどトラブルが多発したため地元は餌付けを禁止し、観光客向けのシカせんべい販売も中止。09年度から5年間で市街地の頭数を半分に減らす対策を打ち出した。専門家からは「このままでは絶滅しかねない」と危ぶむ声も出始めた。

 宮島のシカは、戦後間もなくは数十頭から100頭ほどだったが、観光資源として奈良から連れてくるなどして増え、今では島全体に450~500頭いる。約180頭が集中する市街地では餌不足が深刻化。ゴミ箱をあさり、庭の花を食べ、あちこちにフンをするなどの被害が問題となった。07年11月~08年2月には幼児がシカに指をかまれる事件が十数件相次いだ。

 市はシカせんべいの販売を業者にやめてもらい、08年初めには「餌をやらないで」という看板を桟橋前に立てた。さらに市は同年3月に「対策協議会」を設立。厳島神社や観光協会の関係者、大学准教授らが話し合った結果、市街地のシカの半減をめざすことで合意した。観光客に人気のため駆除はしないが、餌を与えず、代わりに市街地に芝地をつくることなどを検討。09年度に死体を解剖して死因や栄養状態を調べる。

 県の調査では、市街地の1歳のオスの平均体重は21.5キロで、本州側のシカの半分ほど。角の発達も遅れている。

 市の対策には異論もある。市民団体「宮島の鹿を救う人道支援の輪」代表の竹中千秋さん(61)は「人間が餌付けして、邪魔になると餌をやらないのはおかしい」。シカの保護を県と市に求める署名をインターネットで呼びかけたところ、これまでに国内外から3600通余が集まったという。

 生態学が専門の鈴峯女子短大講師の林勝治さん(70)は「餌やり禁止だけでは、人に依存し続けたシカは急激に個体数が減り、絶滅する危険性がある」と指摘する

 一方、環境NGO「広島フィールドミュージアム」の金井塚務代表(57)は餌不足でシカがゴミをあさり、異物をのみ込むことを心配する。シカを見守る組織をつくり、餌やり禁止とゴミの処理の徹底で、人との分離を図るべきだと提言。「森にはドングリなどシカの食べ物はまだ残っている。自然の中で生きるシカの生活を取り戻してあげることが大切だ」と話す。

 奈良公園のシカは57年に天然記念物に指定され、現在約1100頭。奈良県によると、傷つき弱ったり、畑を荒らすなど問題を起こしたりしたシカは財団法人「奈良の鹿愛護会」が保護している。(江戸川夏樹)

引用:宮島の鹿を救う人道支援の輪

こちらの記事の中から、気になった点を抜粋してお話しします。

まずはこちら

宮島のシカは、戦後間もなくは数十頭から100頭ほどだったが、観光資源として奈良から連れてくるなどして増え

ということで、朝日新聞の記事で「宮島の鹿は奈良から連れてきた」ということがしっかりと記載されています。

「奈良から鹿を連れてきた」という説については、以下の記事をご覧ください。

宮島に「奈良から鹿を連れてきて増やした」証拠3つ

厳島神社や観光協会の関係者、大学准教授らが話し合った結果、市街地のシカの半減をめざすことで合意した。観光客に人気のため駆除はしないが

という記載があり、廿日市市と厳島神社、観光協会などの合意により、鹿を駆除はしないものの、半減させることで合意した。としっかりと明記されいます

市民団体「宮島の鹿を救う人道支援の輪」は、のちにNPO法人「宮島の鹿をいつくしむ会」として設立されています。

その第一号の会報誌がこちらです。

資料1

資料2

資料3

NPO法人「宮島の鹿をいつくしむ会」は、代表の竹中さんが病で倒れてしまい、志半ばで活動継続できなくなりました。

現在も給餌活動を継続されている米田和子さんも、NPO法人の設立時には会員として協力されていることが分かります。

また、新聞記事に記載されている通り、生態学が専門の鈴峯女子短大講師の林勝治さんと共に活動し、宮島の原生林に調査に入り、鹿の餌資源の不足を行政に訴えていました。

一方、その提言に反対する形でコメントしている方がおられます。

金井塚務代表(57)は餌不足でシカがゴミをあさり、異物をのみ込むことを心配する。シカを見守る組織をつくり、餌やり禁止とゴミの処理の徹底で、人との分離を図るべきだと提言。

金井塚務氏は、現在「日本熊森協会」で講演活動などされていますが、2009年当時から給餌ボランティアに関わる方たちからはすこぶる評判が悪いです

日本熊森協会の活動を批判しているわけではありませんので、そこはご注意ください

金井塚氏は当時から、宮島の鹿を毛嫌いしており、行政の鹿半減の方針を推進してきた人物の一人です。

これ以前には、

香川県の小豆島から宮島に連れてきた猿を、観光客に危害を加えるからという理由で、餌付けして愛知県の犬山モンキーセンターに輸送する活動を精力的に推進したのも、この金井塚氏です。

米田さんのお話では、愛知県に送られた猿は動物実験に使われたそうです。宮島の鹿を救う人道支援の輪のブログでもこのように記載されています。

さらにここへきて、新聞各社が「宮島のサル全頭捕獲へ」というニュースを報道しました。宮島の外から、観光のためとして移入し、山へ復帰させたサルですが、数が増えて厄介者となり、この4月から全頭捕獲され愛知県のモンキーセンター霊長類研究所に、実験用として移される事が決定しましたサルの悲劇的な結末は市街地の鹿を山へ追込めばよいという論理がすでに破綻していることを示しています。

引用:宮島の鹿を救う人道支援の輪

これについてはまた別記事に書きます。

当時を知る方から寄せられた貴重な情報

当時を知る方からとても貴重な情報をいただきました。林業関連の公務員だった方からです。

個人情報保護のため、アカウント名は伏せております。

匿名で構いませんので、もし当時の状況をご存知の方は、情報提供をお願い致します

2009年に発表された、宮島地域シカ保護管理計画では、鹿の専門家が一人もいなかったことが記録に残っています。

生態学が専門の元鈴峯女子短大講師の林勝治さんを始め、さまざまな専門家がいるにも関わらず、このような本物の鹿の専門家を排除したという情報をいただきました。

この情報が本当だとしたら、行政はなぜそのようなことを行なったのでしょうか。

通常、鹿についての保護管理計画ならば、鹿の専門家、生態学の専門家、植物学の専門家など、各ジャンルの専門家を集めて話し合うのが一般的です

2009年当時は朝日新聞の他に、中国新聞にも宮島の鹿問題は何度か掲載されています。

NPO法人「宮島の鹿をいつくしむ会」への取材も複数回行われましたが、結局は一度も記事になることがなかったそうです。

新聞記者はこの問題を報道しようと努めていたにも関わらず、上層部の何かしらの力によって、それが阻止されたと考えられます。

宮島の鹿を救う人道支援の輪のブログが残っていますので、さらに詳しくは以下のリンク先をご覧ください。

宮島の鹿を救う人道支援の輪

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