宮島の鹿についての情報で「宮島の鹿は奈良から連れてきて増やした」というものがあります。
実際どうなんだろう
と氣になる方も多いかと思います。
宮島の鹿について、奈良の鹿を迎えたという説は古くから語られてきましたが、廿日市市によれば、それを直接裏付ける一次史料は確認されていません。
一方で、奈良では春日大社の鹿が神鹿として信仰されてきた歴史があり、宮島でも古くから鹿が「神鹿」と呼ばれていたことが史料から確認されています。
さらに調べていくと、
宮島へ奈良の鹿が移入されたとする記述は、林野庁の調査報告書や新聞記事、市議会会議録、書籍など、複数の資料に残されていることが分かりました
ただし、これらの資料が存在することと、実際の移入を直接証明する一次史料が確認されていることは、分けて考える必要があります。
この記事では、それぞれの資料に何が記されているのかを紹介しながら、現時点でどこまで確認できていて、何がまだ分かっていないのかを整理していきます。
鹿の遺伝子検査によって奈良から連れてきた説を否定?

宮島の鹿が遺伝的に独自の系統を持つという研究結果は、多くの記事や資料で「奈良から連れてきた説を否定する根拠」として紹介されています。
しかし、ここには注意が必要です。
「現在の宮島の鹿が遺伝的に独自である」ことと、「過去に奈良から鹿が持ち込まれたことがない」ことは、必ずしもイコールではありません
集団遺伝学の一般的な考え方として、次のようなことが起こり得ます。
- 過去に、ごく少数の個体(たとえば数頭)が別の地域から持ち込まれたとする
- その個体が、既存の集団と交配した場合でも、持ち込まれた個体の数が少なければ、その遺伝的な特徴は、世代を重ねるうちに薄まっていく
- また、持ち込まれた個体がうまく定着・繁殖できなかった場合は、その遺伝的な痕跡は残らないまま消えてしまうこともある
つまり、現在の調査で「独自の系統である」という結果が出たとしても、それは今生きている集団の遺伝的な特徴を示しているだけであり、過去に一時的な移入があったかどうかまでを、直接否定するものではありません。
言い換えると、遺伝子検査は「今、宮島の鹿の遺伝子が奈良由来かどうか」には答えられますが、「過去に奈良から鹿が持ち込まれた出来事があったかどうか」には、必ずしも答えられないのです。
この点を踏まえると、遺伝的独自性という一つの根拠だけで「奈良から連れてきたというのは事実ではない」と断定するのは、性急な判断だと言えます。
しかこつまり遺伝子検査だけでは
“断定” はできないのね
林野庁の公式ウェブサイトに史実が記載


林野庁の公式ウェブサイトに掲載されている資料に、奈良から鹿を連れてきたことが記載されています。
該当部分のページがこちらです。


昭和20年頃絶滅の危機にあったが、奈良の鹿を移入し増殖に努め、平成14年には厳島神社、紅葉谷、包ヶ浦等市街地周辺で約350頭が確認されており、全島では1,000頭以上が生息していると言われている
昭和20年頃は、西暦1945年頃ですから、ちょうど大東亜戦争が終戦した年です。
戦後の宮島といえば「戦前沢山いた神鹿は戦争中食糧に供給された」という記録が残っています。
宮島の鹿の歴史資料
林野庁が公開している2003年の「宮島国有林」の調査報告書には、
「昭和20年頃絶滅の危機にあったが、奈良の鹿を移入し増殖に努め」
と明記されています。
ただし、この報告書がどの史料を根拠としてこの記述を行ったのかについては、本文からは確認できません。
そのため、奈良からの移入を示す重要な資料の一つではありますが、これだけで移入の事実を確定できるものではないと考えています。
朝日新聞に奈良から連れて来たと記載


2009年3月15日の朝日新聞にも、戦後間もなく鹿を奈良から宮島に連れてきたことが記載されています。
その記事がこちらです
朝日新聞
エサ禁止、細る宮島のシカ 数増え、市が半減策
2009年3月15日 18時42分
世界遺産・厳島神社がある宮島(広島県廿日市市)で、「神の使い」と大切にされてきたシカが増えすぎ、餌不足からやせ細っている。しかも、子どもがかまれるなどトラブルが多発したため地元は餌付けを禁止し、観光客向けのシカせんべい販売も中止。09年度から5年間で市街地の頭数を半分に減らす対策を打ち出した。専門家からは「このままでは絶滅しかねない」と危ぶむ声も出始めた。
宮島のシカは、戦後間もなくは数十頭から100頭ほどだったが、観光資源として奈良から連れてくるなどして増え、今では島全体に450~500頭いる。約180頭が集中する市街地では餌不足が深刻化。ゴミ箱をあさり、庭の花を食べ、あちこちにフンをするなどの被害が問題となった。07年11月~08年2月には幼児がシカに指をかまれる事件が十数件相次いだ。以下略
2009年の朝日新聞には、「観光資源として奈良から連れてくるなどして増え」とする記述がありました。
ただし、記事中ではこの記述の出典までは示されていません。
そのため、これも移入を直接証明する一次史料ではありませんが、少なくとも2009年当時、このような経緯が報道されていたことを確認できます。
廿日市市会議録に残る議員の発言記録


廿日市市の会議録には公式に議員の発言が残っています。
2006年09月14日:平成18年第3回定例会(第3日目) 本文 佐々木雄三
「戦時中にほとんど頭数が減りました。昭和25年に奈良県の方からですね、つがいが来まして、それで保護育成をしようと、宮島の観光資源ということで、皆さんもご存じだと思いますが、厳島神社の裏でおりをつくって飼っておりました。そこで保護育成しましたら、頭数が増えまして、昭和40年代のころに、やはりそれでは狭くなって、あまりこんまいとこで飼うのはということで、水族館の前で山を囲いましておりをつくりました。そこで飼ってたところを途中から予算の都合上でですね、おりがめげまして、自然にシカが町の中へ出てきたと~」。
こちらも、やはり戦時中に鹿が激減したこと、そしてその後、奈良県から鹿を連れてきたことが記録として残っています。
これは廿日市市議会の公式な会議録に残されている発言ですが、あくまで議員による発言の記録であり、市がその内容を公式に認定したことを意味するものではありません。
一方で、「昭和25年」「奈良県からつがい」「保護育成のため飼育」という具体的な内容が語られていることは、宮島の鹿の歴史を考えるうえで注目すべき資料の一つです。
奈良から鹿を鉄道で移送した事例


奈良から鹿を鉄道で移送した事例をご紹介します。
鹿児島県にある、阿久根大島にも鹿が生息しています。この島は江戸時代から景勝地とされてきて、大昔から鹿が町のシンボルとなっています。
2025年5月6日の南日本新聞に、阿久根大島の歴史を紹介する記事があり、次のように記載されていました。
大正の初め、当時の阿久根村が再び島を公園にしようと鹿を放したが、風土になじめないのか定着しない。村を挙げて奈良の春日大社に頼み込み、「神鹿」を鉄道で連れ帰ったが、いつの間にか姿を消した
引用:南日本新聞 (2026,7,21 削除確認)
時系列としては、このようになります。
- 大正初め、当時の阿久根村が島を公園にしようと鹿を放した
- 地元の鹿は定着しなかった
- 奈良の春日大社に依頼し、「神鹿」を鉄道で連れ帰った
- しかし、最終的には姿を消した
奈良の春日大社に依頼し、奈良の神鹿を鉄道で連れて帰ったと記載されています。


結果的には、奈良の鹿は風土になじめなかったのか、奈良の鹿は姿を消したそうですが、鹿児島県阿久根大島の事例は大きいです。
ですが、ひとつの判断材料にはなるかと思います。
『宮島の植物誌 サルと歩く原始林』にある鹿の記述


宮島の猿について調べていると、「宮島の植物誌 サルと歩く原始林」という本を見つけたので購入してみました。
著者は、日本熊森協会などでも講演活動をされている、宮島でニホンザルの研究をしていた金井塚務氏です。
この本の、20〜21ページには以下のように書かれています。


大型獣のシカもイノシシと同じ運命をたどるかと思われたが、こちらはすんでの所で絶滅を免れた。神鹿という意識が働いたのであろうか。わずかに残った鹿を柵でかこい、増殖をこころみたという。今の水族館の前にその囲いはあった。奈良からオスを何頭か移入したとも聞く。その後まもなく、台風で柵は壊れ、そのまま野生に戻ったのが今のシカである。
この本には、戦後にわずかに残った鹿を囲って増殖を試みたことや、「奈良からオスを何頭か移入したとも聞く」という記述があります。
ただし、著者の金井塚務氏自身も「移入した」と断定しているわけではなく、「とも聞く」という形で紹介しています。


そのため、この記述だけをもって奈良から鹿が移入された事実を証明することはできません。
一方で、1998年に出版された宮島の自然を扱った書籍にもこの話が記録されていることから、少なくとも当時、奈良から鹿が移入されたという話が伝えられていたことを示す資料の一つと考えることができます。
なぜ「奈良からの移入」が確定した史実とはされていないのか


ここまで見てきたように、奈良から宮島へ鹿が移入されたとする記述は複数の資料に残されています。
一方で、実際に鹿を移送した際の記録や、移入元・頭数・年月などを確認できる一次史料については、現在のところ確認できていません。
林野庁の報告書、新聞記事、市議会での発言、書籍などに類似した記述が複数存在することは重要ですが、それぞれが同じ伝承や情報源をもとにしている可能性もあります。
そのため現時点では、「奈良から鹿が移入されたことを示す記述は複数存在するが、それを直接裏付ける一次史料は確認できていない」と整理するのが適切だと考えています。
まとめ


今回確認したところ、宮島へ奈良から鹿が移入されたとする記述は、一つだけではなく複数の資料に残されていることが分かりました。
林野庁の調査報告書には「奈良の鹿を移入し増殖に努め」と記載され、2009年の朝日新聞にも奈良から鹿を連れてきたとする記述があります。
また、2006年の廿日市市議会会議録には、昭和25年に奈良県から鹿のつがいが来たとする議員の発言が記録されています。さらに、1998年刊行の書籍にも、奈良から雄鹿を移入したという話が紹介されています。
一方で、実際の移送を直接記録した文書などの一次史料については、現在のところ確認できていません。
そのため、「奈良から鹿が移入されたことは事実である」と断定することも、「そのような事実はなかった」と断定することも、現時点では慎重であるべきだと考えています。
現在確認できる資料から言えるのは、戦後の宮島へ奈良から鹿が移入されたとする記録や証言が複数存在しているということです。
今後、当時の行政文書や新聞資料、宮島側・奈良側の記録など、新たな一次史料が確認できれば、この記事にも随時追記していきたいと思います。



