宮島の鹿についての情報で「宮島の鹿は奈良から連れてきて増やした」というものがあります。
実際どうなんだろう
と氣になる方も多いかと思います。
行政が否定しているのだから、それは間違いだ
と言われる方もおられますが、一度自分の頭で考えてみることも大切です。
根拠となる情報をひとつひとつ確認してみたところ、やはり「宮島に奈良から鹿を連れてきて増やした」と考えるほうが自然だと感じるようになりました。
今回は、その証拠となる3つの資料を提示しながらお伝えしていきます。
鹿の遺伝子検査によって奈良から連れてきた説を否定

まず最初に「奈良から鹿を連れてきた」ということを否定する根拠から入りたいと思います。
奈良から鹿は連れてきていない、という根拠としてよくあげられるのが、近年行われた鹿の遺伝子検査です。
奈良の鹿は独自の遺伝子をもち、宮島の鹿も宮島固有の歴史を持つことが分かった
というものです。
ただ、この情報には疑問が残ります
単純に考えて、奈良から鹿を連れてきて、宮島の鹿と交配させたとなれば、それはそれで独自の遺伝子になるとも考えられるからです
人間と同じく、全ての鹿の遺伝子はもちろん違いがありますので、切り取り方によっては独自の遺伝子を持っていると言えてしまうでしょう。
奈良の鹿の遺伝子検査の本質をAIに質問

チャットGPT(人工知能)に次のような質問をしてみました。
奈良の鹿が独自の遺伝子を持つことが確認されたわけですが、奈良の鹿を宮島に連れてきたという事実が否定されるわけではないですよね
以下はチャットGPTの回答です。
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おっしゃるとおりです。奈良の鹿が独自の遺伝子を持つことが確認されたとしても、「奈良の鹿を宮島に連れてきた」という可能性が完全に否定されるわけではありません。
理由
- 遺伝子の「独自性」が示すのは、現在の奈良の鹿の系統が、他地域とは長期間隔離されていた可能性を意味します。
- 一方で、過去に奈良由来の鹿が別の場所(例えば宮島)に持ち込まれた可能性は、遺伝的証拠だけでは完全に否定できません。
- 特に、移入された鹿が少数であった場合、現地の鹿との交雑や淘汰によって、奈良の遺伝的特徴が残らない可能性もあります。
結論
- 奈良の鹿が独自の遺伝子を持つことは「宮島とのつながりがなかった証拠」にはなりません
- 宮島に奈良の鹿が持ち込まれた可能性を否定するには、宮島側の遺伝子調査が必要です
遺伝学的な「独自性の証明」は、歴史的移入の否定ではなく、分離の可能性の提示である点に注意が必要です。
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以上がAIの回答です。
私が何となく感じていた違和感を、ずばり言ってもらえてスッキリしました。
奈良の鹿が独自の遺伝子を持っているからと言って、「宮島に奈良から鹿を連れてきた」ということを否定する根拠にはならないのです。
それではここから本題に入りましょう。
これからお伝えする3つの根拠を知ることで、「奈良から鹿を連れてきたのではないか」と考える人がいることも納得できるかもしれません。
根拠1:林野庁の公式ウェブサイトに史実が記載

林野庁の公式ウェブサイトに掲載されている資料に、奈良から鹿を連れてきたことが記載されています。
該当部分のページがこちらです。

昭和20年頃絶滅の危機にあったが、奈良の鹿を移入し増殖に努め、平成14年には厳島神社、紅葉谷、包ヶ浦等市街地周辺で約350頭が確認されており、全島では1,000頭以上が生息していると言われている
昭和20年頃は、西暦1945年頃のことですから、ちょうど大東亜戦争が終戦した年です。
戦後の宮島といえば「戦前沢山いた神鹿は戦争中食糧に供給された」という記録が残っています。
宮島の鹿が激減して絶滅の危機にあった際、奈良の鹿を移入し増殖したということが、林野庁の公式ウェブページ内に記載されているわけです。
林野庁の公式ページですから、かなり信ぴょう性が高い情報であることは間違いありません。
このような貴重な情報が削除されてしまってはまずいので、ここに記録として残しておきます。(令和7年4/17)
根拠2:朝日新聞に奈良から連れて来たと記載

2009年3月15日の朝日新聞にも、戦後間もなく鹿を奈良から宮島に連れてきたことが記載されています。
その記事がこちら
エサ禁止、細る宮島のシカ 数増え、市が半減策
2009年3月15日 18時42分
世界遺産・厳島神社がある宮島(広島県廿日市市)で、「神の使い」と大切にされてきたシカが増えすぎ、餌不足からやせ細っている。しかも、子どもがかまれるなどトラブルが多発したため地元は餌付けを禁止し、観光客向けのシカせんべい販売も中止。09年度から5年間で市街地の頭数を半分に減らす対策を打ち出した。専門家からは「このままでは絶滅しかねない」と危ぶむ声も出始めた。
宮島のシカは、戦後間もなくは数十頭から100頭ほどだったが、観光資源として奈良から連れてくるなどして増え、今では島全体に450~500頭いる。約180頭が集中する市街地では餌不足が深刻化。ゴミ箱をあさり、庭の花を食べ、あちこちにフンをするなどの被害が問題となった。07年11月~08年2月には幼児がシカに指をかまれる事件が十数件相次いだ。以下略
宮島のシカは、戦後間もなくは数十等から100頭ほどだったが、観光資源として奈良から連れてくるなどして増え
ということで、朝日新聞に掲載された事実があるのです。
新聞に間違った情報を掲載するとはとても思えませんので、やはり宮島に奈良から鹿を連れてきて増やしたというのは事実であると言えそうです。
根拠3:廿日市市会議録に残る議員の発言記録

廿日市市の会議録には公式に議員の発言が残っています。
2006年09月14日:平成18年第3回定例会(第3日目) 本文 佐々木雄三
「戦時中にほとんど頭数が減りました。昭和25年に奈良県の方からですね、つがいが来まして、それで保護育成をしようと、宮島の観光資源ということで、皆さんもご存じだと思いますが、厳島神社の裏でおりをつくって飼っておりました。そこで保護育成しましたら、頭数が増えまして、昭和40年代のころに、やはりそれでは狭くなって、あまりこんまいとこで飼うのはということで、水族館の前で山を囲いましておりをつくりました。そこで飼ってたところを途中から予算の都合上でですね、おりがめげまして、自然にシカが町の中へ出てきたと~」。
こちらも、やはり戦時中に鹿が激減したこと、そしてその後、奈良県から鹿を連れてきたことが記録として残っています。
これら3つの情報はそれぞれ全く別媒体ですが、内容が完全に一致しています。
廿日市市は「奈良から鹿を連れてきた」という情報を否定しているようですが、
- 林野庁の公式ウェブページの記載
- 朝日新聞での掲載
- 廿日市市議会での発言
この3つが偶然、それぞれ間違えて掲載さたということは、なかなか考えずらいです。
奈良から鹿を連れてきた史実を否定する理由の考察

決定的とも言える根拠が3つも残っていました。
これらを考慮すると「宮島では戦後鹿が激減したため、奈良から鹿を連れてきて増やした」というのは事実であると思えてきます。
仮にこれが事実だとすると
なぜ「奈良から鹿を連れてきたことがある」という事を頑なに否定するのでしょうか
これは個人の見解ですが、現在国によって進めらている「狩猟・ジビエ推進」が根本原因ではないかと考えています。
鹿を神の使いとして大切にすることは、害獣として鹿を狩猟し食べる場合、真逆の思想となるため都合が悪いのです。
- 宮島や奈良に限らず、鹿をいつくしみ大切にするのか
- 害獣として悪者にして、殺しを正当化するのか
私たちは、それぞれが本当に大切なことを見極めなければならない時期に来ていると感じます。